最晩年の食について思う

先週八十八歳で亡くなった義母の告別式を無事に済ませました。

義母の最期の日々に寄り添う中で、人生最晩年の食のあり方について考えることになりました。

義母が一番食べたがっていたのは、たっぷりのお醤油をつけた刺身。もともと新潟出身、それも醤油と味噌の製造販売をしている家の娘で、しょっぱい味が人一倍好きなのでした。

でも、心臓肥大がひどく、肺に水がたまってきていた義母は、医学的には塩分は即毒。なので、お世話になっていたホームでの日々の食事では厳格な塩分制限がされており、「何を食べても味がしない」「食事の時間に呼び出されるのが苦痛」と訪れるたびに愚痴をこぼし、ほとんど食事に手をつけないこともありました。

二週に1度くらいはと、医師の許可もとってお寿司屋さんに連れ出すと、普段は食が細いと言われていた義母が二人分もペロリと平らげるのでした。

「自分がこんなに食に執着があるとは思わなかった」と義母。

そんな義母を見ていて、88歳、食べたいものを食べずに我慢して日々悲しい思いで生きるのだったら、多少残る時間が短くなったとしても、美味しいものを食べて満足して日々を暮らしてもいいのではないかとも思うのでした。

戦後すぐにアメリカ留学中の婚約者に呼び寄せられて、一人貨物船に乗ってアメリカに渡り、結局二十年以上をアメリカで過ごすことになった義母は、ピザやメキシコ料理も大好きで、元気な頃は、我が家の庭のピザ窯で焼くピザを、本当に喜んでもくれました。

 

最後に連れ出したのはピザ屋さんでした。それがどれだけ美味しかったか、嬉しかったかを、義母は何度も繰り返すのでした。

 

最後の会話は「今日は一日何も食べられなかったから、何か美味しいものを食べたいわね〜」でした。

日々、食べたいものを食べることができることは、当たり前のように思えるけれど、実はとてもシアワセなことなんだと改めて感じています。


特上のお寿司にお醤油をたっぷりとかけて義母の棺にそっと入れました。