和泉ちゃんの著書「料理家ハンターガール奮戦記」

9月、息子の入学式で別府を訪れた帰りに一泊立ち寄った福岡。

年齢を超えて尊敬する音楽プロデューサーでありコントラバス奏者の松永誠剛くんの紹介で福岡であった料理家の井口和泉ちゃんの本「料理家ハンターガール奮戦記」を読んでみた。

福岡の「after the rain」にて
福岡の「after the rain」にて

「料理を仕事にする人どうし合わせるとハブとマングースになるかな?」という誠剛くんの「心配」をよそに、和泉ちゃんの、いい意味でサバサバしたオタク!な感じ(そして知識豊富!)の奥にある繊細な心を感じて、私はすっかり和泉ちゃんファンになってしまったのだった。

彼女は、フランス菓子を学び、摘み草で保存食を楽しんでいたのだが、フランス料理を学ぶうちに、ジビエ料理を作ってみたいと考えるようになる。と言っても日本ではジビエが普通に流通しているわけではない。

ある時、知人が猟師になったと知り、自ら狩猟の資格を取得することを決意する。

どこまでが「命」?どこからが「食べもの」?

罠にかかったイノシシを「止め刺し」て命を奪う場面に初めて立ち会う時の記述は、読んでいるこちらにまで和泉ちゃんの困惑が混乱が伝わってくる。

「どこまでが命で、どこからが食べものになるのか」

狩猟者免許を取りながらも、自分で動物を仕留める気持ちになれずに狩猟者登録はしない。仲間の狩猟現場にできるだけ立会い、解体加工し、料理を作ると決めるのだが、一番きついところを人に任せているのではないか?きれいごとなのではないか?と揺れる。

 

仲間と共に8日間毎日山に入り罠を仕掛け、採れた獲物はすべて加工しようと自ら提案したのにもかかわらず、獲物の命を奪い解体する日々の中で心が折れ、手が動かなくなってしまう。

 

そんな体験を超えて、「命を無駄にしたくない」ではなく、平和な気持ちで歓びをもっていただくことが他の生き物の命への報いであるとある日思い定め、「器の上に載っているすべてのかつて生きていたものの魂の抜け道を作る」気持ちで料理するようになる。

 

そこまでの和泉ちゃんの等身大の迷う心が描かれている。迷いながらも自分なりの答えを見つけていくそのプロセスに大いに共感する。


和泉ちゃんが作る料理を食べてみたい。

彼女の料理には彼女の思いのありったけが入っているに違いないとこの本を読んで確信できたから。
また福岡に行きたい理由が増えた。