映画「うみやまあひだ」から「棟梁」に出会う

4月、映画「うみやまあひだ」を見た。
1300年にわたって続けられてきた20年ごとの式年遷宮。
それを追った写真家・宮澤正明氏によるドキュメンタリー。

初日に見たこともあって、宮沢氏の挨拶も、木曽の木遣り歌も、生で見ることができた。
日本の美意識を感じさせる映画だった。

映画の中で、ある男性の話し方、佇まいに惹き付けられた。
宮大工、小川三夫氏だった。

そんなわけで、小川三夫氏の言葉の聞き書き「棟梁」を手にした。
高校の修学旅行で法隆寺を見て感動し、法隆寺宮大工の西岡常一氏を訪ね、再三にわたって頼み込んで3年の末、内弟子となる。


「技能、技術というのは大切だけども、それにとらわれるとだめだ。(中略)これならできるということしかしないようになる。」

「その時にできる精一杯のことをしておけば、後の時代の工人たちは俺達の仕事を読み取ることができると思う。(中略)だけど肝心な木がないんだ。」

 

「もしも法隆寺の五重塔を新しく建てるとなったら、製品石にして約千八百石の材がいる。これは直径1メートル五十センチの立木にして八十から百本だ。こんな木は今は日本に一本もない。」

他にも心に響く言葉がたくさんあった。

宮大工とは、1300年の昔の人々の仕事を読み取り未来に伝える職業と言えるのかもしれない。そういうスパンで物事を考えることがあまりなくなってしまった現代において、とても貴重なあり方を教えてもらった気がする。

日本には作ろうと思っても、もう木がないのか、、、。
それが心にひっかかる。

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コメント: 1
  • #1

    Lloyd Volk (水曜日, 01 2月 2017)


    Thanks in support of sharing such a nice thought, post is pleasant, thats why i have read it fully