作家モノの器が売れるようになったのはSNSのおかげ?

陶芸家の友人から面白い話をきいた。

ここ数年、作家ものの器が自宅づかいとして売れるようになってきた傾向にあるとのこと。その理由が面白かった。

我妻珠美さんの器にディップソースをもって
我妻珠美さんの器にディップソースをもって

人に見せる機会が増えると、人はそこに意識をむけるし、お金も使う、らしい

「美命」の器で台湾茶を楽しむ
「美命」の器で台湾茶を楽しむ

数年前までは、洋服やアクセサリーなど、人の目に触れるものには大枚をはたく人も、家で使う器にはそれほどのお金をつかわないケースが多かった。ホームパーティがそれほど盛んではない日本においては、自慢の器を人に見せる機会が圧倒的に少ないから、というのが彼女の分析。

 

それが、Facebookをはじめ、SNSがこれだけ普及してくると、器の写真をアップすることで、たとえ人を家によばなくてもそれを人の目に触れさせることができるようになった。
確かに。
このことは、作家ものの器の売れ行きが上がってきた理由の一つであるには違いない。

Facebookへの投稿で、おばあちゃんの料理への意識が変わった!

その話をきいて、数年前のことを思い出した。

以前、雪深い地域に住んでいる男性が義理のお母さんの料理を写真にとってFacebookに何度もアップするようになった。
珍しい乾物を使った料理が多かったこともあり、その写真に対して、私をはじめ何人かがコメントをつけるようになった。

しばらくたつと、その写真にうつっている内容が当初とは大きく変わってきたのだ。

初めのうちは、「ただ作って盛りつけました」という感じだったものが、盛り方も丁寧になり、器も雑然と置いてあったものが、撮影の際の角度などにも工夫が見られるようになってきた。

「ばあちゃんが、楽しそうに料理を作ってます。とっても元気になりました」
そんな知らせを彼からもらった。

「見栄」も上手に利用して自分のくらしを楽しく

二階堂明弘さんの益子青磁で干瓢イリチー
二階堂明弘さんの益子青磁で干瓢イリチー

「ぼくは見栄っ張りだから料理が旨いんですよ」という男性もいた。人においしい!といって食べてもらいたいから、工夫もするし、がんばっちゃうというのだ。

 

こういう見栄、大賛成。
おばあちゃんの見栄も、それで家族も本人もハッピーなのだから、素晴らしい。

たとえ初めは見栄からだったとしても、作家モノの器を日常に使いだすと、そこに盛る料理や盛り方もセッティングも工夫することになる。

現代作家のモノであれば、展覧会で作家さんたちと話をすることだってできる。
たった一つの器からでも世界はどんどん広がってしまうかもしれない。

見栄も上手に味方につけて、自分の暮らしを楽しくしていけたらいいなと思う。