気絶して記憶を失って考えたこと

25日、クリスマスの夜、ディナーにワインを2杯飲んで戻り、北京に住む娘とLINEで1時間ばかり話をした(という)。その後、お風呂に入って夜着に着替えたところで気絶したらしい。

子どもの年齢すら思い出せなかった、という

朝、目覚めた時、自分が気絶したという記憶はなかった。

頭がひどく痛くて触ってみるとひどいコブがある。

そして夜のいきさつを聞いた。

 

上海にいる理由も、娘が北京に住んでいることも、子どもの年齢も思い出せなかったのだという。これらは目覚めたら思い出すことができたけれど、娘と話したことや、お風呂に入ったこと、気絶したことについては、結局記憶が戻らない。

帰国後、脳神経外科でMRIをとった。
脳にはまったく問題なし。出血もなし。

 

一時的に低血圧になりやすい体質ということだと思う、と医師。

たしかに子どもの頃から朝会で貧血を起こしやすいタイプだった。

濃い紅茶を飲んだ後、電車で気絶したこともあった。

たくさんの気づきがあった一年でした

今年は、私にとって転機の年だった。

たくさんの学びをえた。

素敵な出会いに恵まれた。

別れもあった。

たくさんの気づきがあった。

決断もいろいろした。

 

辛いこと、悲しいこと、悔しいこと、情けないこともあった。

失ったものもあった。

でもそれ以上に楽しいことが、嬉しいことが、たくさんあった。

シアワセ!という気持ちは、人がもってきてくれるものではなくて、自分が動くことによって手に入るもの、自分の心のあり方によって感じることができるもの、と実感した。

 

自分がどうしたら心地よいのか、

気持ちよく過ごせるのか、

自分を好きでいられるのか

そんなことがやっとわかってきた年でもあった。

私と、時や場を共有してくれたすべての人に感謝!

打ちどころが悪かったら、倒れた場所が悪かったら、永遠に記憶を失っていたかもしれないし、もしかしたらこうしてブログを書くことすらできなくなっていたかもしれない。

人はfragileな存在なんだな、って改めて思った。

この気絶と頭の強打とプチ記憶喪失は、50歳になった私へのクリスマスプレゼントと考えようと思う。

 

私と場や時間を共有してくれる人たちに感謝。

かつてそうしてくれた人たちにも、感謝。伝えることはできなくても。

 

自分のペースを理解して、自分ができることをきちんと把握して、欲張りすぎず、でも実現したいと思う価値にむかって、もしかしたらそこに至ることができないかもしれなくても、一歩一歩そこに近づくように歩んでいきたい。

 

そんなことを思う年の瀬。

来年はきっともっと私らしく暮らしていけるって、なんとなく感じている。

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コメント: 1
  • #1

    Yuzuri.Nakamura (月曜日, 31 12月 2012 02:57)

    わたしも子どもの頃から貧血でした。自分を知り、単なるワガママと片付けられないよう注意を払い、他人のプライドを傷つけることなく説得できるようになるまで3年かかりました。
    今年は激動の1年でした。そして来年は未来に向って光の中を歩いて行きます。
    どうぞご家族ご友人と美味しい料理を囲んだ幸せな大晦日&新年をお迎え下さい。
    今年はフィード購読させてもらい楽しかったです!ありがとうございました。